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「海の駅から」⑩

米国の測量艦フェニモア・クーパー号のブルック艦長らが、咸臨丸への乗船を承諾した経緯は、明らかでない。おそらく木村摂津守が、ブルック艦長に咸臨丸乗船を強く要請したのが事実であろう。

 米国に帰国する船を探していたブルック艦長たちを、幕府が咸臨丸に乗船させてやったという見方がある。だがそれはありえない。

 F・クーパー号は米国海軍の測量艦であり、ブルック艦長は米国海軍大尉である。同じ米国海軍の軍艦ポーハタン号が日本に来ていたのだから、F・クーパー号の乗組員は、同胞のポーハタン号に乗って帰国した方が、万事好都合だったのだ。

 『中濱万次郎』(中濱博、富山房インターナショナル)に、次のような記述がある。

 〈一月十六日、ブルックはじめ、旧フェニモア・クーパー号の乗組員のうち十一人のアメリカ人が横浜で十二時頃に咸臨丸に乗り込んだ。この十一人はブルックの気に入りの人たちで、他の者はポーハッタン号に乗った〉

 ブルック艦長はあえてポーハタン号に乗らず、信頼できる部下とともに咸臨丸に乗船したことが分かる。その経緯を推理してみる。

 木村摂津守が万次郎に、日本人だけで太平洋航海が可能かどうかを訊ねた。万次郎は「日本人だけでは難しい」と正直に答え、米国人船員の支援の必要性を述べた。それを聞いて木村は、ハリス米国総領事に相談する。 

ハリスはF・クーパー号のブルック艦長と乗組員の乗船を助言する。万次郎がブルック艦長に会い、太平洋航海の支援と、日本人乗組員を指導して欲しいという木村の意向を伝えた。ブルック艦長がそれを受け入れた。

「万次郎とブルック艦長はこの時の話し合いで、お互い尊敬、信頼できる海の男であることを確信した。それが、ブルック艦長が咸臨丸への乗船を承諾した最大の理由かもしれない」

ジョン・ハウランド号やポーハタン号、咸臨丸など多くの帆船模型を作製、研究してきた草柳俊二さんの、船乗りの心を洞察した情味深い分析である。

 

 

  

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