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「海の駅から」24

 遣米使節団の随行艦の候補になった「観光丸」「朝陽丸」を掲載している百科事典は、非常に少ない。「咸臨丸」はどの百科事典にも載っている。太平洋横断という歴史的な出来事が、咸臨丸の知名度を抜きん出たものにしたのだろう。

では咸臨丸はどのように紹介されてきたのだろうか。『世界大百科事典』(平凡社)の1973年版から抜粋してみる。

 〈本船は1860年(安政7年正月)、日米通商条約批准書交換遣米使節、外国奉行新見豊前守以下80余名の護衛と実地操練のため、日本の汽船として最初の太平洋横断を遂行した。司令官海軍奉行木村摂津守、艦長勝安房以下日本人のみ90名が乗り組み、航海37日を要して同年2月22日サンフランシスコに着き(略)〉

 遠洋航海技術の未熟な日本人乗組員に代わって、咸臨丸を操船したブルック艦長とその部下と万次郎についての記述はない。〈日本人のみ90名〉とあり、ブルック艦長ら12人の米国人が乗船していたことも否定している。

 だが、同じ『世界大百科事典』の2007年改訂新版では、内容が変化している。

 〈1860年(万延1)1月、新見正興らの遣米使節に護衛艦として随行し、海軍奉行木村喜毅(芥舟)監督の下に艦長勝義邦(海舟)とアメリカ士官ブルックJohnM・Brookeらの操縦で、太平洋を横断した〉(抜粋)。

 ブルック艦長の航海日誌の公開などによって、咸臨丸の太平洋横断の実態が明らかになり、記述が改められたのだろう。咸臨丸は、日本の小説やドラマに何度か登場してきた。でもフィクションの世界である。

 

 外洋で要求される操船技術の高さや、海洋気象などの視点から考察すれば、外洋航海の技術や経験のない集団が、北西の季節風が吹き荒れる真冬の太平洋を横断することは、現実的に無理との答えが出るはずである。でもなぜか、そうした考証はほとんどされてこなかった。新しい視点での「咸臨丸再考」があってもいい。

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