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2015年08月24日の記事は以下のとおりです。

「海の駅から」②

 高知県の南端の足摺岬は、黒潮が最初に日本に接岸する地点だという。黒潮が日本列島と直接触れ合う唯一の場所との説もある。どちらにしても、地球の最大の大河・黒潮が、足摺岬の前を流れていることは変わらない。

 太平洋に突き出ている岬のふもとに、海の駅「あしずり」がある。そしてそこに「ジョン万次郎資料館」がある。資料館に12隻の帆船模型が展示されている。模型はすべて、高知工科大学大学院教授の草柳俊二さんが作製したものである。

 そのなかに世界に一つしかない貴重な模型がある。米国の捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の模型である。太平洋の孤島・鳥島で、生死の瀬戸際の無人島生活をしていた万次郎たちを救出したのが、ジョン・ハウランド号だった。1841(天保12)年6月27日のことである。

 ジョン・ハウランド号は、マサチューセッツ州にある捕鯨船基地の町・ニューベッドフォードで、1830年に建造された。長さ34メートル、幅8・3メートル、重さ377トン、3本マストの木造帆船で、当時の最新鋭の大型捕鯨船である。

 1800年代までの造船は、正確な設計図を描かずに模型を作り、模型をもとに建造するのが一般的だった。ジョン・ハウランド号の元図面も存在していない。オリジナルの設計図がなく、米国にもない帆船模型が、日本に存在しているのだ。

 米国でのジョン万次郎の評価は、日本人が知るよりもはるかに高い。ペリー提督が江戸幕府に開国を迫ったとき、日本語と英語の二つの言語を通訳、会話のできる日本人が、万次郎だった。のちに米国第30代大統領のジョン・クーリッジが万次郎を、「最初のアメリカ大使を日本に送ったに等しい」と称賛したほどである。

 米国人や日系人などで結成する「米国ジョン万次郎会」が、ジョン・ハウランド号の復元船の建造を計画したが、実現しなかった。草柳さんは、ジョン・ハウランド号の模型をどのようにして作製したのだろうか。


 

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