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2014年04月27日の記事は以下のとおりです。

第2回 池道之助の旅日記紹介

 【発信日:2014年4月27日(日)】

 

※こちらの記事は池道之助の五代目子孫、鈴木典子さんの解釈版となっております

 鈴木さんの意向を踏まえて頂いた原稿をそのまま掲載しております。ご了承くださいませ。 

 

池道之助の旅日記紹介 第2回

 

後藤象二郎を頭に33人のチームは高知城下を出発します。

土佐と宇和島の境の関所(検問所)で往来切手を引き合わせ通り抜けと記されてありますからお互いの割符(通行手形)を合わせて、キチッと合って通行可となったのでしょう。まるで時代劇そのままです。そこに宇和島の庄屋と見える人が迎えに来ていて、とても丁寧なおもてなしがはじまります。

 

まず乗物(のりもの)2丁(かご)を用意してくれていたが私たちは乗らないまま。ござなど敷いてくれてその上に座り茶などを出してくれる。城下に出るまでの道すがら、山の陰や涼しい木陰を利用して冷たい水などを出してくれ実に暑さの中であるのできもちのよい接待である。このような場所が5、6ヶ所もあった。その昼弁当を庄屋の家でいただく。

 

7月12日午前9時宇和島に到着。中濱万次郎、私、與惣次の3人は町役場に泊まり後藤様は町の酒屋に泊まる。両宿とも袴をつけた城のさむらいが3~4人ずつ昼夜交代で接待をしてくれて実にていねいである。

 

翌13日~15日まで宿泊して、14日、15日は伊豫守(いよのもり)様へお許しをいただいて城中のいろいろな場所を見学さしてもらう。港の蒸気船も20隻お求めになったと見え中濱氏とこと細かく見物させてもらう。

と、町中のにぎやかな様子が記してあります。

 

16日夕方7時宇和島から乗船して佐賀関に向かいますが台風シーズンらしく思うようにはならず、ようやく臼杵に入港したもようです。突然の入港ゆえ御番所(役所)に高橋勝右衛門様、森田幾七様、伊平殿の3人が宿の交渉に出向いています。

 

與惣次と常七は荷物番に船にのこりその他の者は宿に向かいます。中濱氏は町の惣組頭たたみや町新衛方に泊まる。後藤様の宿代は支払なし。臼杵ではこの時の費用をすべてめんどう見てくださる。それは土佐と御類族のゆえである。臼杵のお城は海上からもながめがよろしく、「そのすがたは実に見事である」と記しています。港の入り江も大変よろしく良き湊である。

 

18日ここを出発19日荒城の月の唄で有名な竹田城下に宿をとる。竹田城下宿、岡本町 北岡屋與市右衛門20日竹田城下出発21日須郷村玉来より2里半のところに細川越中守領分これより東、中川修理太夫領分の立木が立ってあり細川分は至って大きく中川分は小さい。(P43)

 

ここから九州の火山の話になります。猫ヶ岳有り阿蘇山有り歌いにある阿蘇の宮はここであるが、お役目の旅ゆえ参詣しないで通過する。カルデヤ湖の様子が記してあります。

 

四方立山にて中は盃のようになっておる。

 

 

 

 

→池道之助の旅日記紹介3へ続く

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