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「海の駅から」⑲

 万次郎は米国に永住することもできた。彼の航海術や捕鯨術の優秀さは広く知られ、人脈もあったから、米国で暮らしていく基盤が十分にあった。

 その万次郎が、処罰を受けるのを覚悟してまで、鎖国中の日本に帰る決心をしたのはなぜなのか。米国における万次郎の足跡や資料を研究してきた草柳俊二さん(高知工科大学大学院教授)は、次のように分析する。

 「万次郎を帰国に駆り立てた最大の理由は、日本が開国すれば捕鯨事業によって経済発展を図れることを、日本に伝えたい一心の使命感だったと思う。当時の捕鯨事業が国際ビジネスとして非常に高い利益を上げていることや、捕鯨資源の豊富な海に囲まれている日本が、有利にビジネスを進められることを、万次郎は熟知していた。彼の使命感は、日本の経済発展を願う祖国愛だったかもしれない」

 帰国した万次郎が、米国事情を知りたい幕府の要請に、積極的に協力したのもうなずける。万次郎の居た米国は、工業文明の先端を走っているだけでなく、民主的な政治の仕組みを持った国だった。

 そして、人々が伸び伸びと生きていた。国にも人にも勢いがあった。日本が開国して、米国の活発な経済活動や自由な気風を取り入れることを、万次郎は強く期待した。

 日本は開国、大政奉還、新政府へと進んだ。だが新しい支配体制は、各藩に自治を任せていた幕藩体制よりも、はるかに中央集権の強いもので、民主的な政治の仕組みから乖離していた。

 新政府はまるで憑かれたように欧米の工業文明を取り入れていく。でもその目的は軍事力の強化にあり、民間の自由な経済活動を抑え込んだ。万次郎の期待はしだいに失望に変わっていった。

 

 「さまざまな国や地域を見て回った経験のある万次郎の頭の中には、日本がどのように進むべきか、かなりはっきりしたイメージがあったと思う、だから明治政府は万次郎を敬遠した。万次郎も明治政府と距離をおいて余生を過ごしたのです」

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