ジョン万の軌跡をたどる
土佐清水・フェアヘーブンにあるジョン万ゆかりの地を紹介しています。

■土佐清水・中浜

中浜万次郎生誕地

万次郎の生誕地にある石碑です。万次郎帰郷150周年記念につくられました。万次郎の顔写真が入っています。土台部分には船の画がはめられています。石碑の裏には日本語と英語両方の説明文が刻まれています。

ジョン万次郎生家(復元)

画像:ジョン万次郎生家(復元)

「ジョン万次郎生家(復元)」は、土佐清水市内の有志の働きにより集まった募金などで復元されました。 現存している生家の写真をもとに設計された茅葺きの木造平屋となっています。
平成22年10月31日に落成され、平成22年11月1日より無料で公開されています。

▼生家へのアクセスはこちらをご確認ください。

  • 中浜家の墓

    中浜万次郎の仮墓があります。 詳細

  • 万次郎記念碑

    碑には贈正五位中濱萬次郎翁記念碑と刻まれています。

■フェアヘーブン

  • 1.ミリセント図書館

    (45 センター ストリート)
    フェアヘーブン町のこの美麗な建築は、長い間フェアヘーブン・ニューベッドフォード=土佐清水姉妹都市委員会の本拠として、又集会所としての役目を果たしている。万次郎に関する書物、中濱家贈呈品の日本刀が展示されています。現天皇陛下とお妃、ご自筆のお名前が、100余年前から用意されたゲストブックにサインされています。

  • 2.旧ユニタリアン教会

    (34 ワシントンストリート)
    ホイットフィールド家族と万次郎が通った教会。建物は、以来修理改造が行われ、各持ち主の手を経て維持されてきた。現在は、「ノースウエスト海洋学専門養成所学院」として、世界に高名を連ねている。正面入り口の前に建てられた記念碑は、万次郎とホイットフィールド船長の友情を象徴させて学院長が設計したものです。

  • 3.ホイットフィールド船長の家

    (11 チェリー・ストリート)
    ウイリアム・ホイットフィールド船長が、万次郎を歓迎して住ませた家。万次郎が、アメリカに住んだ最初の日本人ということになる。また、この出会いが、今日に見られる日米間の友好関係の基盤になっていると言えよう。日米のフレンドシップは、ここが出生地であります。

  • 4.イーベン・エイキンの家

    (14 オックスフォードストリート)
    2年余の捕鯨航海から戻ってきた(1843年)船長は、ニューヨークに住む婚約者アルバティーナを迎えに行く為、家を留守にした。万次郎を近くに住んでいた船首で友人でもあるエーキン家に預けて行った。
    *私宅のため公開されて居りません。住人のプライバシーをお守りになってください。芝生の上を歩かないようお願いします。

  • 5.アレン姉妹の家

    (10 オックスフォード・ストリート)
    少年万次郎は、ここで家庭教師をしていたミス・ジェーン・アレン、ミス・チャリィティー・アレン姉妹から英語を教えられた。半地下室兼台所で、勉強の他に姉妹達の手作りのお菓子の味も覚えたと言われている。
    *私宅のため公開されて居りません。住人のプライバシーをお守りになってください。芝生の上を歩かないようお願いします。

  • 6.ホイットフィールド家のお墓

    (274 メイン・ストリート)
    ウイリアム・ホイットフィールド船長、並びに、船長家一族の永眠墓地。フェアヘーブン町にあるこのリバーサイド墓地は、手入れの行き届いた美しい埋葬園として、知られています。多くの日本人が、万次郎の恩人のお墓をたずねて表敬参拝しております。

  • 7.オールド・ストーン・スクール

    (40 ノース・ストリート)
    万次郎は、ここで「読み」「書き」「計算」、英語で”ザ・スリー・アールズ”と称される基礎科目を、町の生徒達と一緒にこの公立小学校で学んだ。一部屋だけの教室で、上級生、下級生、同席として、勉強に励んだ。彼はとても真面目で、勤勉な生徒だったとの評判を得た。

  • 8.ルイス・バートレット・スクール

    (42-44 スプリング・ストリート)
    万次郎は、この私立の高等学院で、海洋航海、造船に必須科目の、船の操縦術、数学、海面測量学を習得して、帰国後は、これらの知識を日本で大いに役立たせたでのである。
    *私宅のため公開されて居りません。住人のプライバシーをお守りになってください。芝生の上を歩かないようお願いします。