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第8回 池道之助の旅日記紹介

【発信日:2014年8月6日(水)】

 

※こちらの記事は池道之助の五代目子孫、鈴木典子さんの解釈版となっております

 鈴木さんの意向を踏まえて頂いた原稿をそのまま掲載しております。ご了承くださいませ。 

 

池道之助の旅日記紹介8

 

~カレーライスの話から~

道之助の記録の中に、マ子カレ馳走になる、という記録がある。土佐史談の研究家が活字にしていた物を読み砕いていて、この言葉に会った。

ハタッと考え込んでしまったのである。頭をかかえてしまった。ハテ、何のことであろうかと。ここから前に進まない。1~2日経ったであろうか、もしかしたらカレーライスの事ではないかと、ひらめいたのである。

 これらの研究と苦労話をとんでもない訳を含めて、鈴木が小冊子を印刷してくれて高知の坂本龍馬記念館の研究発表で話をさせていただいたのである。

 その際「マ子カレ」の話に対して、色々ご意見を頂いたのである。その中に「当時の長崎で数種類のスパイスを使ってカレーライスが作られていた、と言う記録がある」と言って下さる研究家もいらっしゃった。

 研究に入り始めた当時の私には、全てが驚きと感動であったが今日冷静になって考えてみると文明開化の日本には世界の珍味が集結していたのは当たり前のことである。

 道之助を始めとして内地留学に長崎に来ていた有能な若者にとっては、全ての物が新しく心躍らせる物ばかりであったと想像できるのである。彼らは、外国語を学び、新政府のもとで諸外国との取引にも役立つよう備えていったものと考えられる。

 道之助の記録の中には、明治維新に携わった有名人の名が沢山出ている。ただし彼らの中には命を狙われた者もいたのでそのままの名前で出ているとは限らない。例えば、よく知られている坂本龍馬は、才谷梅太郎と言う名で出ている場合もあり長州(山口県)の伊藤博文は伊藤俊輔と出ている。井上馨は井上聞多と記録にあり、これらの人名をピックアップしていくだけでも大きな歴史研究の材料になるのである。

食物についても、砂糖を溶かして飲む記録や、パンと乳、シャンパンをご馳走になったことや、豚のヘラヤキを食べたことなどが記されている。

 道之助が筆舌に尽くし難しと記している内容は、主に景色の美しさや壮大さ、また、長崎でオーケストラの路上演奏を外国女性が美しく着飾ってきて鑑賞する様子など、実に美しい表現としてあらわしている。これらは、現代のクラッシック音楽に対する几帳面な態度をあらわす風景として私は想像を馳せているのです。今回はこの辺りで。

 

→池道之助の旅日記紹介9へ続く

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