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2015年10月28日の記事は以下のとおりです。

「海の駅から」⑯

 咸臨丸が太平洋に乗り出すと、たちまち日本人乗組員の航海技術の未熟さが露呈してしまう。外洋航海を知らない海軍伝習所出身の士官たちと、世界の荒海を経験している万次郎との技量、度量の差は明らかになるばかりだった。

それを知りながら日本人水夫たちは、身分(通訳)の低い万次郎の操船指示に従おうとしない。ブルック艦長は、万次郎を気遣う心境を綴っている。

〈彼の立場は非常に危険なので、問題を起こさないように、常に注意を払わなければならない〉

日本人同士の軋轢の中で理不尽な窮地に立たされている万次郎を、ブルック艦長が懸命に守ろうとしている。

 〈乗組員の内、万次郎だけが日本の海軍の改革が必要であるという意見を持っていた〉

 この場合の「海軍」は、幕府の海軍全体ではなく、咸臨丸の日本人クルーのことであろう。日本人乗組員が航海術の習得に真剣に取り組み、規則と指令系統を明確にして、チームワークを確立しなければ太平洋横断は難しいと、万次郎がブルック艦長に心情を吐露したのだと思われる。

 〈私は日本の海軍を改革することに努力し、万次郎に協力する〉

 ブルック艦長が咸臨丸の実質的な艦長となってから、日本人乗組員はしだいに組織体制を整えていった。

咸臨丸が浦賀を出発する前の、日本国内での万次郎の行動についても記している。

 〈万次郎はしばしば、将軍から相談を受けまた彼はアメリカ人をたいへんよく助けた。けれども、彼はある考えから江戸のアメリカ公使には決して近づかなかった。嫉妬深い日本人によって不利につながるようなことは、どんなことでも公にしたくなかったのである〉

 開国を巡って日本は騒然となるが、その実態は激しい権力闘争、政権抗争だった。「開国」の意義や目的の論争とは次元の違う争いに巻き込まれまいと、万次郎が警戒していたことが分かる。ようやく帰ってきた祖国が内部抗争に走るのを、万次郎はどんな思いで見ていたのだろうか。

 

 【〈〉内は中濱博著『中濱万次郎』より引用しました】

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